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初めての方へ

※このエントリは常に最上部に表示されるように日時を調整しています。最新エントリはこの下をご覧ください。

ブログの説明にあるように、こちらでは具体的な調教内容や行為について触れる予定はありません。
テキストだけの退屈なブログになると思います。

それでも、SMについてこれから知りたい人、他の人の考えを知りたい人、迷っている人、考えを深めたいあるいは広げたい人の参考にはなるかもしれません。

そもそものブログ開設の目的は、自分のSMについての考えを言語化することで整理することにあります。

なんでそんなことしたいのかというのはここでは明らかにしませんが、自分にとって大事だと思っています。

そういった自分のための作業が、少しでも他の人の参考になれば幸いです。

SMについての考えは、ほとんどは今までのパートナーたちとの関わりから生まれてきたものです。
また、私は某サイトのチャットによく出没します。
そこでの会話から思ったこと、感じたことをつぶやき的にアップすることもあるかもしれません。

ご意見ご感想について、厳しいご指摘も含めてコメントをいただくかPC用サイトのメールフォームからいただけると幸いです。
どのようなご意見にも、自分なりに考えてお返事をしようと思っています。
M女性に限らず、多様な性癖や性別の方からのご意見、ご感想をお待ちしています。

まずは、インデックスをご覧ください。
順次、中身を書いてリンクを貼っていくつもりです。

宜しくお願い致します。

2015年8月13日
鴨頭草

追記:一度記事を全消去したため、保存済みの一部の記事を順次再アップ中です。2020年1月1日付の記事は再アップされたものです。
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「奴隷」と「従者」

今回は「奴隷」「従者」という言葉について簡単に述べたいと思う。
このブログをざっとでも見ていただければ、主従の関係性をいかに構築・発展させていくかについての内容であるとご理解いただけることだろう。主従関係とは、主と従の立場を分けてそれぞれの役割を果たすことが両者にとって自然であり臨む姿であることが前提と私は考える。

主の役割についてはここでは触れず、他の記事から推察いただくとして、従の役割についての考えを述べよう。私が主従の相手に望むことは、私の満足、楽しさ、快楽のためにいかに一生懸命努力して尽くせるかという点に集約される。採用基準はその一点のみと言ってもいいくらいだ。

では、一生懸命努力して尽くすとはどういうことか。そこにどれだけ従側の主体性を求めるかについては様々な考え方があるだろう。私の場合、主体性を求める。つまり、私の利益になるように自分で考えて工夫して様々に提案をしたり陰で動いたりできる従が理想である。もちろん、そんな優秀な秘書みたいなことを誰しもができるはずもなく、私の人間性や好みを把握するところから段階的にではあるが、目指す理想像がそこにあることは間違いない。

その前提に立つと、このブログで従を示す言葉として表記してきた「奴隷」という言葉は果たして適切なのか。当時はなんとなくSMの主従は主と奴隷と安易に考えていたことは否定できない。ブログ開設後数年を経て、特に海外サイトの巡回の中でドミナントとサブミッシブという概念を得て、サディストとマゾヒストという言葉につきまとう本来ないはずの立場上の意味合いが整理できたことも大きい。

今の私の考えとして、私が主従の相手に望む理想像により近いのは「奴隷」ではなく「従者」だ。私の人柄、主従観、目指す関係性や理想の従者像に興味を持ち、関わることで、自らの意思で私に仕えたいと願う者を従者として採用する。従者は私から指示命令を受けることに加え、自らも考え動き、私が快適に気分よく過ごせるように尽くす。そこに、奴隷制度から連想されるような強制性は無いし、拘束されて自由を奪われることもない。私が叩きたいとなれば、私の満足や快楽のために拘束されることなく自らの意思でじっと耐えて受ける、逃げたければ逃げられる状況で自らの身を捧げることで役割を果たす。私に尽き従い、私の為に仕えると熟考のうえ覚悟を決めてこうべを垂れて獲得する身分が「奴隷」であるというのは、数年前から違和感があり、会話やチャットでは「奴隷」という言葉を使わなくなった。

ただし、「奴隷」という言葉が持つロマンポルノ的なエロティシズムが理解できないわけではない。服従させられ、奴隷という身分を叩きこまれ、所有され、権利や自由を奪われるという関係性や状況は伝統的なSMのイメージでもあるし、その良さも認めている。

以前にアップした「私が使わない言葉とその理由」という記事に「奴隷」を追加してもいいのだが、そこまで自分のボキャブラリーから排除したいかと自問するとそこまでではない。そっと横に置いておこう。

信用と信頼、そして安心感について

立て続けて「信頼」についてのツイートをした。

SMや主従関係では「信頼関係」についてよく言及される。
が、そもそも信頼関係って、何?どうだったらそれがあると言えるのか?というところまで突っ込んで話されないような気がする。単に「信頼関係が大事」と唱えるだけなら誰でもできるよね


「俺の言うことが信用できないのか?信頼関係が大事って言ったろ!」
などというセリフは、その時点で矛盾している
問題は、こうやって強く言われると従ってしまうM女が一定割合いること。いずれにせよそこに「信頼関係」など無いのは明白


「信用」と「信頼」は何が違うか?

「信用」と「信頼」は、両方とも相手の事を信じるという意味が含まれている言葉です。ただ、「信用」は「過去の言動や実績から確かなものと信じて受け入れる事」を指すのに対し、「信頼」は、「未来の行動を信じて頼りにする」というニュアンスの違いがあります。「信用」は過去の実績や成果に対する評価によって生まれた言葉であるのに対し、「信頼」はその人の人柄や立ち振る舞いを評価した上で、先の保証がないまま信じて頼るという意味合いがある言葉です。尚、英語表記の場合、「信用」はcreditと書いてクレジット、「信頼」はtrustと書いてトラストとなります。 Weblio辞書より



この解説は私の実感とも合う。SMの相手として選ぶのに最低限必要なのは信用できること。行為の安全性、情報漏洩の安全性、性感染症対策、避妊などは過去の実績や行動の積み重ねでもあるから信用の問題が大きい。
信じて頼ることができるか。それは気持ちの問題であり、結果として話の聴き方や表情の動かし方などの行動にも表れるけど、本質は向き合い方、その在り方にあるんだろう。それが信頼。
そう分けて考えると、信用できて信頼できる人がいいわけだ。これは、何もM側/サブ側だけではない。S側/ドミ側も信用、信頼できる相手でないと自分の内面を見せ、異常な嗜好を思う存分ぶつけることはできない。お互いにとって必要なことだ。

では、信用や信頼はどうであったら成立していると言えるのか。色んな要素があると思うが、私は実感として自分の言葉で表現するなら「安心感」だ。M女のみなさんには、これから出会おうとする相手には、ぜひとも「安心」できるか?を自分に問いかけて、連絡先を教えるなり、会うなり、SM的行為をするなりを決めていただきたい。

こんな風に信用・信頼・安心について語っている私だが、「俺の言うことが信用できないのか?」と思わず言いたくなることもある。そこで考えてみると、このようにS/ドミ側が言うパターンとして2種類あると思う。つまり、①行為中の動画を撮影する、本名や住所を教えるなどの実害が起こりうる問題と、②どれだけ大事に思っているかなどの気持ちの真実性を扱う問題の二つだ。
①の場合の「俺の言うことが信用できないのか?」は恥ずべきセリフだけど、②の場合は・・・、どうだろうか。私が思わず言いたくなるのは、こちらがいかに大事に思っているかが伝わらない時だ。これだけ行動で示しているのに、これだけ言葉で伝えているのに、どうして俺の気持ちを信じてくれないのか!と言いたくなってしまう。これは、M/サブの女性の自己肯定感の低さやネガティブ思考により生じやすい、相手の好意を自分に向けられているとまっすぐに受け取れないという傾向から来る場合もある。というか、そういったM/サブ側の女性の捉え方が大きく影響していると言える。だからと言って、別にM/サブ側を責めているわけではない。そういう受け止め方をしやすい相手だとわかって関係を結んでいる以上、こちらが「なぜわかってくれないのか」と感情的になるのはお門違いであり、どうすれば「あぁ、どうやら私は本当に愛されている、大事にされているようだ」とM/サブ側が思えるようなアプローチを試行錯誤し、積み重ねていくほうに意識を向けるのが良い。このM/サブ側の愛されてる感覚は1回ではすぐに消えてしまう。それくらい、自己否定の強さや自信の無さ、愛されることへの不慣れさは強固な場合が多い。だから気が遠くなるほど何度も繰り返して、積み重ねて、上書きしていくしかない。その中で、徐々に「安心感」は育っていく。

ちなみに、「安心感」が育つにつれ、これまで人に表現するものではないとしまいこんでいたネガティブな感情が出るようになる。安心しているからこそ、その感情をぶつけてしまうのだ。しかも、慣れていないから非常に不器用な形で。そのことにM/サブ側自身が戸惑い、「私はこんなことを言う人間ではなかったのに」と落ち込むこともS/ドミ側の人間は前もって踏まえておくことが必要だ。これを「安心感の副作用」と言う。

上記の副作用に留意しつつ、私は安心をいかに作り出すかを日々悩み、考える。

誰かを理解することについて

1人の人間をその人そのものとして理解することについて考えてみた。
それを端的にTwitterでつぶやいたが、誤解の余地が大きいであろうと考え補足する次第である。

tweetしたのは下記の文言。

「従えているM女の気持ちや考えがわかるようになるには?

たくさんの人間と対話し、
たくさんの女性と対話し、
たくさんのSM世界の住人と対話し、
たくさんのM女と対話し、
たくさんの似た感性や嗜好を持つM女と対話し、
それらを上回る勢いで従える相手と対話を続ける」

物事を理解するには、多元的な視点が必要だ。
たとえば、ある会社を理解しようとすると、
その会社の
・経営理念は?
・財務状況は?
・人や資本の規模は?
・商品やサービスは何?
・どんな価格帯?
・ターゲットはどの層?
・社員の性別や年齢構成は?スキルは?
・LGBTQにフレンドリーか?
・SDG’sの取り組み状況は?
など、いくつもの項目があるだろう。

これは、その会社の現在の姿を捉える項目。
他社との比較で相対化するとわかりやすい。
これが多元的に見るときのひとつの視点。

これに別の視点を軸としていれるとなると、時系列だ。
その会社は創業者が起業したのか?大企業から部署が分社化されたのか?
そこから現在に至るまで何を目指し、何を課題としてどう変化してきたのか。
そしてこれからどこへ向かおうとしているのか。
この、過去から未来に向かう時間の流れに沿った時系列的変化がもう一つの視点。

このように、知りたい対象の「現在地」を知ることと過去から未来への「時系列」を知ることは、
会社組織を理解するに限らず有用な2軸であると考える。
もちろん、人間が相手でもだ。

ここで上述のtweetに戻る。自分がこれから従えたいと思っているM/サブの女性を理解しようとするときに必要な視点として、「現在地」と「時系列」の2軸で見てみることとする。
順番は、まずは「現在地」だ。これが曖昧なまま「時系列」を知ろうとしても意味がない。はじめましてとしゃべりだしてすぐに「Mに目覚めたきっかけは?」などと質問するのは、その考え方に従うとよくないアプローチになる。まずはどんなマゾヒズムやサブミッシブとしての気質を持ったどんな人間なのかをある程度知ったうえで、それがいつからなのか必要に応じて(流れに乗って)尋ねるのが良い。そして、M女の現在地を知るためには、一人の人間として理解したうえで、その一人の人間である相手の中に女性としての自分がどう認識され、さらに女性である自分の中にマゾヒズムやサブミッシブな気質がどのようにおさまっているのか知るのが良い。もちろん、そこまで自分でも整理されていないことが多いだろうし、そんな質問をしたところで「考えたこともありません」と会話が途切れることもあるだろう。そこで、S側が話をしながら今までの知識や体験を比較対象として参照しながら、会話をリードしていくことになる。
その際に、今までM女と会ったことも話したこともありませんというのでは、参照できるデータは皆無である。せめて、TwitterやブログでM女の心情を知ってもらいたい。しかし、M女の嗜好やM女としての感情だけ知っていれば良いのか?特に主従を望むM女の場合、人としても理解されたいものである。そうであれば、当然そのM女を人として理解するための参照データは多い方がいい。そこには、たくさんの人と関わり、向き合ってきた体験が生きる。
M女は、まずは一人の人間であるため人として理解する。そして次に、女性(曖昧な人たちもいるがこの場では生物学的にも性自認も女性だとする)として理解する。それには、当然たくさんの女性とかかわり、向き合ってきた体験が生きる。生理のつらさも人によってこんなに違うんだなあと体験的に知っていれば、それだけでも体調の気遣い方が変わる。
さらに、SMとは極めて個人的なものであり、本人たちが納得して幸せであれば他人がとやかく言うものではないということを大前提としておいて、そのうえでやはり多様なSMの関わりや行為、そこに生じる課題を知っておくのが良いだろう。二人の世界であるからこそ、視野が狭くなりやすい。S側は役割上、自分の作ろうとしている関係性や行っている行為が客観的にどうなのか評価できるに越したことはない。そのためには、性別や嗜好に関わらず、たくさんのSMの世界の住人と話すのが良い。ベテランのSですと言いながら、M男と話したことがない、他のS男性と話したことがないなんて人もいるのではないだろうか。Twitterで「素敵ですね」「共感します」みたいなコメントをつけてるだけの交流は、ここでは話したことに含めない。どんな思いで、何を考えて相手と向き合っているのか、相手や自分についてどんな苦悩や問題を抱えていて、どのようにそこに向き合っているのか、そういうレベルの対話を(一方的に拝聴するだけでも)できると良い。
たくさんのM女と話すのは、同じM女でも色々な考えや感情があることを知るのも大事だからだ。別の記事でM女に共通する性格傾向を書いたし、それを読んで「これ、そのまんま私のこと書いたんですか?」と複数から言われたというエピソードからも、確かに共通点はある。同時に、その共通した傾向がどういう場面で何をきっかけに発現するかは個人差が大きい。共通点を知っておけば、予想がしやすい。感情の波が出てきたときも落ち着いて対応できる。しかし、具体的にどう対応するかはその場その場の勝負だ。「たくさんの似た感性や嗜好を持つM女」というのも、同じ話だ。緊縛を嗜好とするM女でも様々だ。無理やり(っぽい雰囲気で)されたい者もいれば、縄化粧をうっとりとして施されたい者もいるだろう。

目の前の相手を理解したいなら、その相手の話だけ聞けばいいと反発する人もいるだろう。人には、必ず思い込みや偏見がある。アンコンシャスバイアス(無意識のかたよった認識、見方)という言葉がはやっているが、要は偏見である。たくさんの人の話を、その人を理解しようという姿勢で聴くことは、自分の中の偏見に気づくきっかけを与えてくれる。いわゆる、目から鱗の体験である。ああ、だから鞭で打たれることそのものが気持ちいいわけじゃないのに性的に興奮するのか、といった、腑に落ちる体験だ。それを積み重ねていればいるほど、目の前の相手が何か話したときに、「ああ、鞭が好きなんだ。痛みが気持ちいいのね」と偏見による思い込みを避けられる。

相手がどんな人間で、どんな女性で、その先にどんな嗜好をもったM女なのかという理解がある。それは上述してきたように、他者との多くの体験が参照データとして生き、より深い正確な理解を助けてくれるだろう。

「時系列」の理解は、本人から話を聞くのが一番である。どんな環境で、どんな周囲との関わりのなかで、何を考え、何を感じ、重大な場面での選択をどう意思決定してきたのか。過去から現在、そして未来に向かう流れがつながるように聞いていくのが良い。

主従関係において、主として従を支配するというのであれば、このように相手を理解するのが良いと考えるし、そのために役に立つ自己研鑽として他者とたくさん話す体験を重ねるのが良い。そんな意味をこめてtweetしたのだが、あの文字数で伝えるのは、まあ難しい。

未経験者を引き込むことについて

先日、下記のツイートをした。

「未経験者歓迎のツイートやチャットの待機メッセージを見かけることがあるが、あなたはこの世界に新たな人を呼び込みたいですか?
こんな満たされ方を知らずに済むなら、その方が人生楽でしょう?どうしても苦しくて耐えられない人だけ仲間として迎え入れればいい」

誤解がないよう、補足をしておく。
私は、決して未経験者がこの世界に来ることを否定的に考えているのではない。
実際に未経験者を自分の相手として迎え入れたこともある。

ところで、SMや主従の世界にいる自分のことを100%好ましく思っている人はどれくらいいるのだろう。
自分の人生に真摯に向き合う人の中には、「こんな性癖(嗜好)捨てたい」と真剣に願う人がいる。
M/サブ女(以下M女)の場合という話になるが、結婚や出産を機にSMを卒業したものの、どうしてもそこでしか満たされない部分を満たされないままにできない、その渇きにどうしても耐えられない、耐えるのが苦痛でたまらないという人も珍しくない。
そうなると、夫や子どもを裏切っていると自覚しながら再びこの世界に戻ることになり、常に罪悪感や自己嫌悪を抱えながら被虐や被支配欲求を満たすことになる。

そんな葛藤、無いに越したことはない。

もしかしたら、それは自分の性的嗜好を受け入れられていないだけだと言う人がいるかもしれない。覚悟が足りないだけと言う人がいるかもしれない。だが、自分の性的嗜好を受け入れることと、日常との乖離に苦しむことは矛盾するだろうか。それは同時に成立するものだと考える。覚悟というなら、そうした葛藤に苦しみ続けることを受け入れる覚悟ではないだろうか。

ちなみに、だったら主従婚をすればいいじゃないかと言う向きもあるかもしれない。
実際初心者でそれを望む人は嗜好・男女関わらず一定数いる気がする。
ところが、経験を重ねたM女と話をすると、初心者の頃はそんな願望もあったがそれは成立しないと気づいたと述べる者が多いとわかる。統計を取ったわけではないから、あくまで少数のサンプルだが、私は完全にそうだが、主従婚は成立しづらいと実感する者は少なくないのではないだろうか。もちろん、主従婚で幸せを築いて長く継続しているカップルがいることも知っている。

私は若い頃に恋人兼任のSMパートナーとの経験を何度か重ねて、自分に主従婚は無理だという結論を出している。そのため、結婚そのものを長く諦めた状態であった。現状がどうなっているかをここでおおっぴらに書く気はないが、そのようにして結婚を諦める選択をしたM女がいることも知っている。

未経験者は、そんな先の葛藤など知らない場合が、当然大多数だろう。既婚の未経験者であっても、一度渇きが潤う感覚を覚えたら最後抜けられなくなるということをどこまで理解しているのか。これまで経験してきたセックスを火遊びとして(あるいは恋愛として本気で)再度経験する通常の不倫とはわけが違う。新たな自分を見つけてしまったら、もうその自分を殺すことはできない。一生なだめ続ける羽目になる。チャットで未経験者と話す際には、原則的にそのような話をして引き返せるなら引き返すことを勧めるようにしている。

長年ずっと願望として持ち続けていたというなら、じゃあそれを実現させようと背中を押すのか、それだけ長く耐えられたならそのまま死ぬまで願望のまましまっておくことを勧めるのか。私は後者だが、前者の立場の人の方が多いと感じる。楽に生きられなくなるその人の人生の責任を取ろうというわけでもないのにと思ってしまうが、結局は本人の選択なのだから本人が責任を持つのが当然という考え方もあり、それはそれでもっともである。なので、未経験者に対して良い側面だけ強調してこの世界に引き込む人のことを責めるつもりはないが、自分がそうしようとはとても思えない。

引き返すように勧めたところで、本当に必要な人は私などに何を言われても必要だからこの世界に入ってくる。そして、私に軽く脅されたくらいで引き返す人はこんなろくでもない世界に来なくていいのである。

といっても、セックスのスパイス程度の軽いSM行為をカップルが刺激を求めて楽しむようなことは別にいくらでもやればいいし、じゃあそうではない「この世界」ってなんだ?と言われると言語化が面倒だ。笑
ひとつの言い方としては、自分の重要な部分(あるいは陰に潜んで誰にも認められなかった自分)を殺し続けて生きるのではなく、その部分がのびのびと生きることができる唯一の世界、かな。

話が拡散したが、仕事に追われている現実からの逃避の産物としてご容赦いただきたい。

プロフィール

鴨頭草(つきくさ)

Author:鴨頭草(つきくさ)
主従関係にて厳しく躾をして理想通りの従者を育てることに楽しみを見出すドミナントであり、ハードめのサディストでもあります。
常に複数の従者/奴隷がいるため、募集をすることはありません。
交流は歓迎するので、嗜好・性指向・性自認に関わらずコメントなどいただければ幸いです。
Twitter@blackmoonslvry

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